戦国時代に天下統一を実現させた「織田信長(おだのぶなが)」「豊臣秀吉(とよとみひでよし)」「徳川家康(とくがわいえやす)」の生涯(しょうがい)や、当時のできごとを調べてみよう。
戦国時代には、多くの大名がそれぞれの領地を守り、天下を目指して争う状態が続きました。
そんな中、織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康の三人が登場し、全国の統一に向けて大きく歴史を動かしたのです。
桶狭間の戦い
1560年、今川義元の大軍を奇襲で破り、一気に名を上げました。
天下布武
「天下を武力でもって平定する」という考えを掲げ、革新的な政策を取り入れました。
鉄砲の活用
信長は、ヨーロッパから伝わった鉄砲を効果的に使い、武田氏などを破りました。
安土城の築城
琵琶湖近くに安土城を築き、天下統一への拠点としました。しかし、1582年、本能寺の変で家臣の明智光秀に襲われ、信長は倒れます。
信長のあとを継ぐ
本能寺の変のあと、素早く明智光秀を討ち、織田信長の領地をまとめあげた秀吉は、やがて太閤と呼ばれる権力を得ます。
全国統一
北条氏や九州の島津氏など、各地の大名を次々と服属させ、1590年までにだいたい日本全国をまとめました。
太閤検地
農地を調べて収穫量を把握することで、年貢をきちんと取れるようにし、武士と農民を分ける兵農分離を進めました。
朝鮮出兵
秀吉は明(中国)の支配を狙って朝鮮へ大軍を送るも、思うようにいかず、秀吉の死後に撤退となりました。
関ヶ原の戦い
秀吉の死後、日本は再び大名たちの対立状態になりました。家康は関ヶ原の戦いに勝利し、全国を支配する力を手にします。
江戸幕府の成立
征夷大将軍に任命された家康は、江戸に幕府を開きます。ここから約260年続く江戸時代が始まり、全国の統一された支配体制が整いました。
武士中心の新しい体制
江戸幕府は、武士(藩の大名)を通じて全国を管理する幕藩体制を作り、江戸時代の平和な世の中へとつながります。
信長
破壊的ともいえる斬新な戦略で、天下統一の道筋を作り、戦国の世を大きく変えました。
秀吉
検地や刀狩などで武士と農民を区別し、より安定した支配体制を整え、日本全国を事実上まとめました。
家康
関ヶ原の戦いに勝利し、江戸幕府を開いて武士中心の社会を長く続くものにしました。
動画で学ぼう!(NHK for School)
(外部サイト)
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各地の大名が、全国支配を目指して争うようになる様子を知る。
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鉄砲の伝来が、戦国の世にどのような影響を与えたか考える。
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豊臣秀吉がどのようにして全国を統一していったかがわかる。
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秀吉が検地と刀狩によって、武士と百姓・町民との身分の区別を行い、年貢の収入の安定をはかったことがわかる。
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歴史にドキリ
天下分け目の関ヶ原の戦いで勝利を収めると、260年続く安定した江戸時代の基礎を作った。待つ男・家康の戦略を見る。
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天下統一を果たすため、織田信長は新しいまちづくりにも力を入れていたそうだよ。このサイト上には、信長が目指した城や城下町が再現されています。商人や人々の生活のようすものぞいてみてね。