ペリーの来日により、日本は長く続いた鎖国をやめ、アメリカやヨーロッパの国々との交流をはじめました。これにより、近代的な国家の仲間入りをしたということができます。幕末から明治維新の時期のできごとについて学ぼう。
江戸時代の終わりごろ、外国船が日本近海に現れるようになり、日本に開国を求める動きが強まります。
やがて幕府はやむを得ず条約を結んで開国し、日本は250年以上続けてきた鎖国体制を終えることになりました。
その後、幕府の力は弱まり、朝廷や各地の人びとが新しい国づくりをめざして起こしたのが明治維新。ここから日本は、近代国家への道を歩み始めます。
ペリーの来航
アメリカのペリー提督が黒船と呼ばれる蒸気船を率いて浦賀に来航し、日本に開国を迫りました。鎖国を続けていた幕府にとって、黒船の技術や武力は大きな衝撃でした。
日米和親条約
ペリーが再び来航した際、幕府は条約を結び、下田と函館を開港することを決定しました。これをきっかけに、イギリスやロシアなど他の国とも同様の条約が結ばれ、事実上の開国となりました。
日米修好通商条約
アメリカとのあいだで結ばれたこの条約により、神奈川・長崎・新潟・兵庫などでの通商が始まり、さらに日本側に不利な関税や領事裁判権などが認められてしまいました(不平等条約)。
尊王攘夷の考え方
「天皇をうやまい(尊王)、外国勢力をしりぞける(攘夷)」という主張が、開国に反対する武士や志士を中心に広がりました。幕府に対する不満も強くなり、国内は混乱状態に。
薩摩・長州の動き
九州の薩摩藩や中国地方の長州藩が、それぞれ幕府に対抗しながら力をつけていき、やがて維新のリーダー役を果たしていきます。
大政奉還
15代将軍の徳川慶喜は、政権を朝廷に返すことを表明し、江戸幕府は事実上終わりました。しかし、新政府の運営をめぐって薩長などの諸藩と旧幕府側で対立が続きます。
王政復古
朝廷が新たに政治の実権を握り、天皇中心の国家体制をめざす動きが本格化します。戊辰戦争を経て、旧幕府軍は敗れ、明治政府が成立しました。
明治維新
新政府は、封建制度を廃止して藩を県に改める廃藩置県や四民平等などの改革を次々に行い、西洋の技術や文化をとり入れながら近代国家へと大きく進んでいきます。ここを境に、日本社会は急速に変化していきました。
動画で学ぼう!(NHK for School)
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徳川慶喜(よしのぶ)が政権(せいけん)を朝廷に返し、鎌倉時代から約700年続いた武士による政治が終わったことがわかる。
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