題材、ストーリー、台詞、俳優の選択、演技、小道具、セットデザイン、衣装、ロケーションなど、準備から仕上げまで、映画の内容のすべての決定権を持つ。資金集めや予算の分配など映画の制作面は映画プロデューサーが行うことが多いが、なかには自分でそれらすべてをやる監督もいる。学生の自主映画からハリウッドの超大作まで、映画には絶対的に資金が必要なので、優秀なプロデューサーが付いているかどうかが、監督にとって重要なポイントとなることがある。また、これからの映画監督はプロデューサーの資質がないとむずかしいといわれている。
映画監督になるためには、映画の専門学校があるが、卒業しても、その多くはテレビや映画のアシスタントとして働くことがほとんどであり、いきなり映画監督にはなれないし、永遠になれない場合のほうが多い。映画監督の道を歩むには、巨匠黒澤明のように「絵が好き」という入り方もあり、脚本家から監督になるという「文章が好き」のアプローチもある。CFの演出から映画監督に向かう人もいるし、舞台やテレビドラマの演出から映画監督に転身する人もいる。最近では、雑誌「ぴあ」が主催する、20年以上の伝統を誇るフィルムフェスティバルのグランプリ受賞者が、商業映画を監督するというケースも生まれている。映画監督になるためには、絶対に映画を撮る、という強い意志が何よりも大切だが、それでも映画監督になれるかどうかはわからない。最近では、海外の映画学校に行く人や、直接ハリウッドを目指す人も増えている。海外に目を向けるのはすばらしいことではあるが、それでも本当に映画を撮れるかどうかは、本人の努力と意志と才能と運と魅力にかかっている。
これは監督だけではなく、映画関係の仕事すべてにいえることだが、日本映画の撮影所システムが崩壊して、日本映画界にあった「年功制」とでも呼べるシステムがほぼ消滅した。その結果、撮影、照明、美術、録音、特機(撮影用クレーンの操作や雨を作る仕事)などの技術パートが撮影所を離れ、独立した会社が多く生まれた。さらに、8mmや16mmの短編映画でも、アマチュアのビデオ映画でも、すばらしい作品があれば、その才能を認め、発掘して、商業映画で使おうという傾向が生まれるようになった。もちろん、アマチュアのなかで、実際に監督や脚本家やカメラマンとして商業映画でデビューする人は全体のごく一部だが、それでも撮影所全盛時代に比べると、若い映画人のチャンスは広がっている。
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情報提供元: 13歳のハローワーク 公式サイト (外部サイト)