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どんな小学生でしたか? |
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一番の思い出は、給食がまったく食べられなくて、いつも担任の先生に残されていました。小学2年から5年生まで、ずっと。給食を食べ終わるまで帰れないんですけど、結局、食べられないんですよ。それで、先生も帰ってしまって、それから捨てて帰るんですけど、それがつらかったですねえ。人生のなかで、あの4年間が一番つらかったですね。
でもそのおかげで、本当はわがままだった自分に忍耐力がついたと思います。だから、いま思えば、本当につらかったんだけども、とてもいい体験だったと思いますね。その先生には感謝しています。いまは好き嫌いは……えーっと、多少あります(笑)。
なるべく若いうちにいろんなものを食べておいたほうが、大人になってもいいと思うな。大人になると味覚が固まっちゃうので、新しいチャレンジができなくなってしまう。できれば、大人に相談して、みんなが嫌いなのは大体、ピーマン、にんじんだと思うけど、小さくしたり、わからないようにしてもらって、食べられる自信をつけていくのがいいと思いますよ。
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得意な教科は何でしたか? |
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国語と美術は得意でした。あとはふつうですね。
小学校1年生のときの先生が、ひげがはえてて、長髪で、いかにも芸術家っぽい先生だったんです。ぼくが絵をかいたら、その先生がものすごくほめてくれて、ほかの授業をやっているときも教室に入ってきて、「スケッチブックみせろ!」って言うんですよ。それで、その絵を持っていって、「大会にだしておくから!」って言うんですね。ぼくはうれしくて、画家になろうかなと思っていたぐらい自信をもっていたんです。そうしたら、小2で変わるんですね。ちがう美術の先生になって、ぼくの絵を全部、否定するようになって、画家になる夢を絶たれたんですね。いま思えばその先生が、美術への希望を消してくれたおかげで、お笑いに傾いていったと思うと、その先生とも運命の出会いだったのかと思うんですよね。そのままだったら調子に乗って、画家になるとか言って、いま苦労しているかもしれないし、わからないですよね。そこらへんが微妙なところだと思うんですけど、小学2年生が大きい分かれ道でしたね。
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子どものころの夢は何でしたか? |
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マンガ家になりたかったんです。画家をあきらめて、マンガを写していたんですよね。「ゴルゴ13」とか、「伊賀の影丸」とか。けっこう、上手だったんですよ。それで、石ノ森章太郎先生の「マンガ家入門」という本があって、「基礎が大切だ」って書いてあるんです。それで、つぎのページに「クロッキー」(※はやく絵を描くこと。美術用語)って書いてあったんです。それで、その「クロッキー」っていう言葉が出てきたところで、その本を見るのをやめちゃって、マンガもあきらめました。美術の先生にも否定されていたし。そうしたら、高校生のときに、なんの基礎もできてないマンガが出てきたんですね。それはショックでしたね。
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お笑いに目覚めたのはいつから? |
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お笑いは好きだったんですけど、別に学校で人気者ではなかったんです。ふつうでしたね。モノマネをはじめたのは中学2年生のとき。西郷輝彦さんの「星のフラメンコ」という曲があって、カスタネットを使うんですね。それで、音楽の授業でカスタネットを配られたとき、林くんという友だちにこの西郷輝彦さんのモノマネをしたら、いすからころげおちて笑ったんですよ。それで、林くんが「もう一回モノマネやってよ」って頼むから、授業中だったんだけど、1時間ずーっとやっていたんですよ。よく怒られなかったなあ(笑)。それまでテレビを見て笑う立場だったのに、笑わせる立場になってうれしくなったんですね。
それから、プロの人のモノマネを見て、それを林くんにモノマネしたらものすごいよろこんでくれました。そうすると自信がわいて、意欲がわくんです。当時はビデオがなかったので、1回しか見られないから必死で見て、ものすごい勉強しましたね。そうしたら、林くんもぼくとは違う人のモノマネを始めて、ふたりでコンビを組んだんです。高校生になって、コンビで文化祭に飛び入りしてモノマネやってました。けっこう、ウケましたねー。 |